お寺では様々な法要、行事が催されます。毎年恒例のものもあれば、建物の建築や修復、慶事に際して勤修される慶讃法要、また、何十年に一度の大遠忌、遠忌法要などがあります。ここでは、戦後性顯寺で勤修された特別行事の一部をご紹介します。

鐘供養法要

 戦中多くの寺院の梵鐘が軍事利用のために国の強制的な供出に遇いました。本来は「兵戈無用(ヒョウガムヨウ)」を旨とする仏教の法具であるべき梵鐘が、兵器としてその形を変えていくなどあってはならないことです。しかしながら、戦中性顯寺の梵鐘も例にもれず国の強制的な供出に遇いました。終戦後の昭和24年(1949)新たな梵鐘が寄進されるとともに鐘供養法要が賑々しく勤修されました。「兵戈無用」を訴えるべき仏教徒が図らずも戦争に加担してきたという過去から目をそらさず今一度しっかりと見つめ直し、また、当時の住職、門信徒の悲痛な思いを受け止め、これからの時代、平和の音を響き渡らせる梵鐘であるべく、戦後70余年経った今なお心を新たにするものであります。

上は、延宝6年(1678)鋳造された梵鐘。寄進者は揖斐郡川合村本庄杉原善兵衛氏の室(妻)、法名妙教。戦中の供出により、昭和18年(1943)、270年にわたり響かせたその音が途絶えました。当時の住職、門信徒においては断腸の思いでした。


上は、昭和24年(1949)、本巣郡弾正村海老杉山善三郎氏並びに菊造氏兄弟により寄進された梵鐘。
「咸然奏天楽 暢発和雅音」刻印のごとく、子々孫々へと清浄なる法音が響き渡ることを願ったものです。


遠忌法要

 50年ごとに行われる年忌法要のことで、本願寺派(お西)では、特に宗祖親鸞聖人の場合は大遠忌(ダイオンキ)といいます。戦後において性顯寺では昭和35年(1960)に、700回大遠忌法要が、平成24年(2012)には750回大遠忌法要にあわせ、内陣の修復落成慶讃法要も勤まっています。
 また、中興の祖蓮如上人の場合は「遠忌(オンキ)」といい、他の宗主のときは「忌」といいます。戦後では、昭和24年、平成14年にそれぞれ蓮如上人450回、500回遠忌法要が、昭和28年に覚如上人600回忌、平成2年に顕如上人の400回忌法要が勤修されました。

昭和35年の宗祖700回大遠忌法要。 本堂で法要が勤められている様子。諸僧七条袈裟に身を包み、荘厳に勤められました。

宗祖御誕生・立教開宗慶讃法要

 宗祖の御誕生並びに浄土真宗の立教開宗を記念しての法要。性顯寺では昭和49年(1974)に御誕生800年・立教開宗750年慶讃法要が勤修されています。


稚児行列

 着飾った稚児たちの行列。
 子供たちが健やかに育つようにという願いが込められています。



住職継職奉告法要

 住職を継職したことを仏祖に奉告する法要。21世了衆は昭和60年(1985)、22世宣孝は令和4年(2022)に勤修されました。


御門主様御巡教及び、御裏方様御出向

 昭和26年勝如御門主様が岐阜教区御巡教のため、性顯寺に御下向されました。その際、帰敬式、戦争犠牲者追悼法要、懇談会及び、座談会が催され、当日は性顯寺に御一泊いただきました。また、昭和35年には西濃北組仏教婦人会連盟結成大会の会所を受け、嬉子御裏方様がおこしになり、御一泊の光栄に浴しています。

昭和26年岐阜教区御巡教に際して、性顯寺本堂にて、勝如御門主様の御親教(御門主様によるお言葉)をいただいています。


昭和35年西濃北組仏教婦人会連盟結成大会の様子。性顯寺が会所となり、本堂にて座談会が催されています。御裏方様自ら、答弁者を務めておられます。